関電不動産開発がお届けする、新築分譲マンション「シエリア西宮北口 昭和園」の公式サイトです。

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邸宅の系譜

阪神間を代表する住宅街のひとつ。
気品に満ちた、上質な佇まい。

ロケーション

阪神間を代表する邸宅街「西宮七園」。そのルーツに迫る。

大正から昭和初期にかけて、交通・環境ともに恵まれた阪神間を舞台に住宅地開発が進みました。
中でも、西宮市内に開発された「昭和園」「甲風園」「甲子園」「甲東園」「甲陽園」「苦楽園」「香櫨園」は「西宮七園」と称され、いまも関西を代表する邸宅街として知られています。

西宮鳥瞰図(出典:西宮デジタルアーカイブ)
西宮鳥瞰図(出典:西宮デジタルアーカイブ)

由緒ある住宅地としての趣と高い利便性の両立、得難い邸宅の条件。

現地界隈は、阪神間を代表する住宅地「西宮七園」の由緒を受け継ぐだけではなく、駅や商業施設の近さという現代の価値基準においても、高い評価を受け続けています。
さらに、「昭和園」の範囲は「甲子園」や「甲陽園」、「香櫨園」のように広い範囲でもありません。つまり、「西宮七園」の中でも、
エリアの面積も限られており新たな集合住宅用地も少ないロケーション。そんな限られた条件のもと、本物件が誕生します。

昭和園

本件に受け継がれている
西宮七園に育まれた上質な住宅文化。

明治初期に邸宅街として開発され、年号にちなんで名付けられた「昭和園」。穏やかな街の表情と上質な佇いが、現在に至るまで、受け継がれています。

現地周辺イメージ
現地周辺イメージ
現地周辺イメージ
現地周辺イメージ
甲風園

阪急電鉄により、「西宮北口」に近い住宅地として開発されました。「甲」は「甲山」、「風」は田園都市のイメージに由来し、「甲風園」と名付けられました。

甲子園

甲子園球場が完成した1924年が縁起がいい甲子だったため、それにちなんで甲子園と名付けられました。野球場や遊園地、ホテルなどを備えた総合リゾート地に、住宅地も開発されました。

甲東園

ぶどうなどの果樹を植えた「甲東(農園)」跡地に住宅地として開発されました。当時植えられた梅の木は「甲東梅林」として残されています。

甲陽園

甲山の南部地域一帯を指し、温泉のある郊外遊園地。劇場の跡地に、南向きのひな壇を活かして住宅地が開発されました。

苦楽園

七園の中でも最も山手に位置します。大正初期に温泉別荘地として開発。開発者の家宝の瓢箪「苦楽瓢」から「苦楽園」と名付けられ、後に住宅地となりました。

香櫨園

明治末期に阪急「夙川」駅の西側に、当時関西最大の遊園地として開発された「香櫨園」。後に住宅地として再開発されました。

邸宅街として開発され、
今なお風情を残す「昭和園」。

西宮七園のうち、五園は、当初別の目的で開発された土地が住宅地へ転用されたもので、純粋な住宅地として開発されたのは、「昭和園」と「甲風園」のみです。
「昭和園」は当時の名残りを留めており、落ち着いた邸宅街の雰囲気は今なお受け継がれています。

現地周辺イメージ
現地周辺イメージ
現地周辺イメージ
現地周辺イメージ
※掲載の写真は2023年10月に撮影